老生の由無き言

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zoom RSS 沖縄を旅して

<<   作成日時 : 2017/12/05 09:18   >>

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師走上旬、沖縄を旅した。

発着を待つロビーで、沖縄からの帰着便から出て来た修学旅行男子高校生達が全員半袖であったのには

驚いた。確かに、10度程の気温差があるのを、着いてから実感した。

初日、那覇レストラン(米海軍夏制服を着た女子高生ウエイトレスを宣伝していた。但し、店内でウロウロしている

だけで、余り活躍はしない。)で、10人程のウエイトレスの中2人が混血であった。

写真で知ってはいたが、首里城は他県の城郭とは異なり、中国式である。丸味を帯びた石垣は優しい。

1429年尚氏が国を統一。中国と朝貢・冊封の関係。

1609年薩摩が侵攻。以降中国・薩摩に両属関係。

1872年日本が強制併合 琉球藩設置。

1945年 沖縄戦。

1972年 沖縄返還。

沖縄は平和な国であったのに、日本に併合されてからは、不幸・不運な国となってしまった。

先ず、沖縄戦では94千人の民間人が犠牲になった。既に敗色が濃かった時期に、敵に一泡吹かせて

戦いを有利に終わらせたいという愚劣な指導者がいたからである。敗戦の玉音を聞いた沖縄の民が

「止められる戦いなら何故もっと早く止められなかったのか!」と言った言葉が忘れられない。

この意味は、国体を護持するためには最後まで戦うという指導者の方針を信じていたのに

「何だ自分は生き残って」という気持ちが込められている。

さらに戦後沖縄を50年以上アメリカに統治して欲しいと願った指導者がいたことにも驚かされる。

今も米軍基地を抱えており、沖縄の犠牲において日本は安全保障されている状態である。

バウセロナではないが、元の琉球国に戻りたい気も起るであろうと思う。

電力多消費地の東京から離れた地で原発を抱えた福島県のような立場である。


国際通り・首里城は修学旅行生と中国人で溢れていた。中国人は何故声高に話すのだろうか?

ホテルで琉球新聞などの地元紙を読むと、米軍関係の報道が多いことに驚かされた。







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