老生の由無き言

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zoom RSS 「術と道」について思うこと

<<   作成日時 : 2017/11/29 10:04   >>

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柔術と柔道という言葉がある。

術は「技」、道は「技+精神」という意味が籠められらているように思う。

相撲は相撲術という言葉はなく、相撲道という言葉は最近使われてきたように思う。

相撲術という言葉がないのは、相撲は術の世界だから「術」という語を付加する必要がないからだろうか?

相撲道という言葉は、八百長問題などの不祥事が起こった際、協会が力士に精神性も併せ持てという

意味で作った言葉ではないか?

個人的には相撲の術だけしか興味はなく、力士に精神性は期待しないが、力士も常識人であるべきなのは

当然である。

問題力士は引退することとなったが、責任の処し方はこれでよいと思う。

暴力教師が、停職か月程度の懲戒でまた職場復帰し、暴力を繰り返すよりも遥かに立派である。

何故教師の世界は甘いのだろうか?教育委員会は教師の互助会だからなのか?

相撲協会が「道」を言うなら、何故外人を力士として受け入れたのだろうか?

「道」は「わび・さび」などと同じ日本固有の概念で(個人的には、よく分からない概念だが)

外人力士を受け入れた折には、協会は相撲は「わざ」の世界として割り切ったのではないか?

モンゴル力士に「道」を教え込むことが可能と思ったのだろうか?

〇17.11.30追記

相撲道という言葉に違和感がある理由を考えてみた。

要するに強ければ所得も多いというプロの世界でなのに、精神性を強調することに無理がる。

プロ野球・テニス・ゴルフなどなどの賞金のあるスポーツでは道という言葉を使っていない。

テニス道と言えば笑えてしまう。

要するに協会が相撲に精神性を求めることに無理がある。

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